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セックスワークについて、今、言いたいこと(ブブ・ド・ラ・マドレーヌ・2016/01/01)

2014年の年末、セックスワークにかんするある人の発言にブチ切れて怒りモードで年を越してしまいました。2015年も12月に入ってからセックスワークの事で私の逆鱗に触れる発言がありました。「また年末かよ!」ってなったのですが、年明けまでにまだ日数があったので、なぜ私が怒っているのかを年内に書いておこうと思って、FacebookとTwitterに連続投稿しました。おかげで今回は比較的穏やかな心持ちで年を越すことが出来ました。でも、議論はまだ続いています。
この20年以上、私はセックスワークについてかなり発言してきたと思っていました。でもそれは間違いでした。まだまだ、使えるものをすべて使って、伝えたいことを伝え切ったとは言えないということに改めて気付きました。
どのようにまとめれば良いのかまだ皆目分かりませんが、まずは去年の年末にSNSで書いたものを以下にまとめておきます(一部編集しています)。

私はどうして今回書き始めたのか

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昨日、どうして突然怒濤の投稿をしたのかを説明をします(「昨日」の投稿は以下にあります)。
きっかけは「おっぱい募金」と台湾でのセックスワーカー会議です。「おっぱい募金」についてはエイズ予防啓発のための募金活動であるということで私は当初は「この名称はちょっとダサいのでは」とか「でも、いろいろ工夫してはるるねんな」とか「おっぱいはどんな人のおっぱいだったのか」とか「啓発活動として効果はあったのか」等々、様々な思いが頭をよぎりました。その後、この募金の今年限りの中止を求める署名が始まり、SNSでも様々な意見が飛び交うようになりました。

「おっぱい募金」そのものについては、私は現場にも行ってないし、私にとっては要素が複雑すぎて、今は判断を保留しています。そもそも誰がどのような権限で何を判断するのかという問題もあります。ただ、「おっぱいを触らせるという行為を提供した」女性達のプロフィールが掲載されているサイトがあって、彼女等の写真を見た時にはちょっと涙腺がじわっときて「お疲れさん!」と思いました。ネットで公開されている彼女等の声等がどこまで「本当」かはわからないという意見ももっともだと思いますが、仮に「本当」である場合、それを疑うことってどういうことなのか、とも思いました。
というわけで、私は「おっぱい募金」そのものについての議論は保留しています。でも、これをきっかけとしてSNS上で「セックスワーク」とか「自己決定」という概念について様々な言葉が飛び交う中で、「ちょっと待ってくれ」とか「この意見はちょっと辛いな…」ということが増えてきました。「おっぱい募金」についての自分の意見を説明するための「セックスワーク」や「自己決定」という概念の使われの中には、私が納得できない、あるいはとても辛く感じさせられるものがたくさんあったのです。

それで、とりあえず、「セックスワーク」という概念について私がこれまで表明してきたことを再度書くことにしました。この数年間セックスワークについてSNSではあまり言及してこなかったのは、自分がセックスワークを退職したということもあり、セックスワークについての議論はあくまでも現役のワーカーの経験や感覚や意見や感情が優先されるべきだと考えているということがひとつ。もうひとつは、私は今、反レイシズムについて活動をしているので、特定の民族のイメージとセックスワークのイメージとが繋がることに加担したくなかったからです。

でも、先日台湾で開催されたセックスワーカーの会議に参加した人たちの報告の一部を聞いた時に、黙っていてはいけないと感じました。言う時には言わないといけない。でも言うなら徹底的に言わないと私以外の当事者が望まない方向に利用されかねない問題でもあります。ですので、さしあたり怒濤の投稿となりました。

ツイッターに書いた事と、とりあえずの基礎文献の紹介

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もう我慢出来ずにツイッターに書いてしもた;
「私は現役を引退して数年も経つから、社会的に何を理不尽で不公正だと感じるかについては現役のワーカーの意見や感情をまず聞くべきだと思っている。今はセックスワーカー自身がカミングアウトしてSNSでの発言もする。もちろん黙っているセックスワーカーも居る。その政治的立場や属性も様々だ。
発言するセックスワーカーが他のセックスワーカーの意見を代弁できるわけでもない。発言してみたところで、過剰な賞賛や尊敬や攻撃に遭うことも多い。そもそも女性やマイノリティの意見を聞くことに慣れていないこの社会に対して、発言すること自体がリスクを伴う。」

「えーっと、そもそも現役のセックスワーカーはこの時期めちゃくちゃ忙しいんです。何か言いたくてもそれどころじゃないっていうワーカーも多いんとちがうかな(去年もそうだったけど)。」

『売る売らないはワタシが決める』ポット出版2000年発行
巻末の座談会が圧巻です(1999年5月13日ロフトプラスワンにて収録)。佐藤悟志、ハスラー・アキラ・畑野とまと、松沢呉一、宮台真司、南智子というメンバーです。「『おっぱい募金』への反対署名」の話題からツイッターではセックスワークに関する投稿が増えていて、特に「セックスワークと臓器売買の関係」「自分の妻や娘がセックスワーカーになるのを許すか」といった話題が出る度に、私はそれらには140文字で応答することが出来ないと思っているので胃の痛い状態がずっと続いていました。これらの「善意のギモン」にこの座談会ではきっちり答えています。2000年発行ですよ。この本が(たぶん様々な偏見によって)いかに(多くの研究者にすら)読まれていなかったかということです。

ちなみに私は筆名桃河(モモカ)モモコで寄稿しています。若い頃に書いたので、ちょっと暴走気味な文章で恥ずかしいですが、そんなことはどうでも良い。座談会を読んでみてください。
また、ハスラー・アキラさんはそのプロフィールの所で「『平和ではなく命が欲しい』もしくは『MAKE MONEY NOT WAR』。これは最近気になっている言葉である。」って書いてます。15年間ぶれてない。

『売る売らないはワタシが決める 売春肯定宣言』
http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-939015-24-3.html#.VnjjrY1lLeE.twitter

「売る売らないはワタシが決める」に続いて同じ2000年に『ワタシが決めた』という本が出ました。こちらも松沢呉一さん編集です。職種も性別も様々なセックスワーカーたちの手記が集められています。私はこちらでは「レディー・ももんが」という筆名で、チューリッヒでセックスワーカーになった日のことを書いています。

本文では明確にしていませんが、これはdumb typeのパフォーマンスのツアーでチューリッヒに行った時に実際に経験したことです。古橋悌二から彼がHIVに感染していることを打ち明けられた数ヶ月後の『pH』という作品のツアーでした。私は、彼のHIV感染とエイズ発症の事実をまだ受け止めきれず、これから皆で彼をどうやって介護も含めて支えていけるのか、同時に社会に対してどのような働きかけをしていくべきなのか、新しい作品(『S/N』)の制作にあたって自分の経済生活をどうやっていくのか、そもそも古橋は何を一番望むのか。それをチューリッヒの山の上で考えました。
そして「自分は売春婦になること」、社会に対しては「有無を言わさぬアピールと、意識のシフトチェンジを迫る表現」が必要であると結論付けました。

私の場合はこのようにヨーロッパの空の下という舞台装置があったわけですが、世界中のセックスワーカーがどんな理由でその仕事を選び、どんな理由でそれを続け、何を感じて何を望んでいるのかは、本当にそれぞれ様々な事情があります。なんとなくそうなった人も居れば、深い決意のあった人も居るでしょう。最初は騙されてその仕事に就いた人が、途中でやりがいを見いだして自分の国でセックスワーカーの組織を立ち上げた人の話もカンボジアで聞きました。最初は自らの意志で始めても途中で理不尽な環境に悩んでいる人も居るでしょう。
セックスワークについて議論をするなら、現在進行中の実態をきっちりと知った上でやってほしい。

『ワタシが決めた』
http://www.pot.co.jp/books/isbn978-4-939015-28-1.html#.VnjlQQMaaSE.twitter

セックスワークについて語ることはなぜ困難か

2000年頃に私たちは日本人セックスワーカーを中心にしたネットワークを立ち上げましたが、その時考えていたことのひとつは、私たちは発言できるけど、そのことによって外国人や子どもにそのしわ寄せ(例えばより危険な性行為)が集中するのではないかということでした。今も私自身はそれを懸念しています。
つまり、日本人女性セックスワーカーに情報が行き渡って「嫌な事を嫌だと言う」ようになったら消費者(客)は外国人や子どもやトランスセックスワーカーなどより脆弱な立場の者の方に流れることが予想されたからです。この因果関係については調査すら充分にされていないのではないでしょうか。

さらに、現在日本で「セックスワーカーの人権」について大学などで講義をすることがあるのですが、多くの学生には基本的なリプロダクティブ・ヘルス・ライツやジェンダーやセクシュアリティについての知識が無いので、そこから話を始めなければなりません。さらに近年では「セックスワークも『他の労働者』と同様の労働者としての権利を」と言う私たちの主張が説得力を持ちません。「他の労働者」の状況がセックスワーク並みに劣悪になってきているからです。
これらの議論が充分でないままに、セックスワークにかんする偏見のみが野放しになっていきます。そしてそれでもこの社会は毎日セックスワーカーを必要としているし、今この瞬間も汗をかいて働くワーカーが居る。

どうしてこの「二つ目の筆名」を今までカミングアウトしなかったかというと、自分としてはとても正直な文章なので、その内容から「赤裸々な!」とか「勇気ある!」とかの形容詞を絶対に付けられたくなかったし、その為にはその前後の事情を説明する必要があると思っていたからです。
この「レディー・ももんが」名義の文章は、私が親友にHIV感染をカミングアウトされたことと繋がっています。その親友について、HIV/エイズと社会について、これからどのような関係を作るのかの、当時の思考の途上の記録でもあるので、簡単に「赤裸々な!」とか形容してほしくないのです。
この、私にとっては極めて正直で地道な「人と人との関係についての考察」が、どうして「赤裸々な!」となってしまうのか。どうしてあなたたちはそう思うのかということを問いたかった。そのために20年間の時間がかかってしまったのだと思います。

「セックスの道徳観」は人を殺しもする

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私たちセックスワーカーのネットワークは「体を売る」という表現に問題があると指摘してきた。
売買春には人身売買(日本政府は「人身取引」と表現している)も含まれるが、その場合は「身体丸ごとの売買」であり、売り手はブローカー等である。貧困が原因で親が子どもを売ることもある。それが頻繁な時代が日本にもあった。現代のセックスワーカーでも人身売買の被害者となることがある。現代の日本においては特に外国人がその被害にあいやすい。
まず、売り手がブローカー等である人身売買と、セックスワークを混同してはならない。もし含まれるとしたらそれは犯罪である。

あるいは自分の意志でセックスワークを選択している人に対して、またなんとなく選択している人に対して「自分を大事にしなさい」という言い方も役にはたたない。その人にはセックスワークを選択しなければ身体的・精神的・経済的に「生き延びる」ことができなかったかもしれないからだ。より「マシ」な方を選択した結果だということがある。

「自分を大切にしなさい」と進言する人は、セックスワーカーの存在に傷ついているのではないかと思う。「同じ女性としてその状況を許せない」あるいは「父親や夫としてそれは許せない」とか。しかし、何が自分の尊厳であるかをみつけていく過程は人によって違う。すべてのセックスワーカーは100%誰かの娘か息子であり、いくらかは誰かの伴侶や恋人でもある。誰かの親であることもあるし、そして友人である。その上で私は「その人がその時持ち得る情報や知識や価値観で判断したことは最大限尊重するべきだ」と考えている。そうハラを決めた時に、その人自身よりも社会を変えていく必要があることに気付く。例えばシングルマザーの困難を減らすにはどうしたらいいのかということが優先されるはずだ。または、とりあえずセックスワークを選択している人がとりあえず安全に働くことができているか心配するはずだ。その場合の安全とか尊重の基準は、働いている本人にしかわからない。例えば経済的な理由で指名が減ることを避けてコンドーム無しの行為を選択するセックスワーカーにとって、何が必要か?「危ないからやめなさい」という進言は役に立たない。コンドーム無しの行為を強要する客、あるいは「それも仕方ないよね」と感じてしまう社会の方を教育することを忘れてはならない。そして、その選択をせざるを得ない・したセックスワーカーを責めてほしくない。

もし傍から見てあぶなっかしい判断をする人が居ても、それが本人にとっては唯一の生き延びる道であるかもしれない。もしその人の事を本当に心配するのであれば、「こんな選択肢や価値観もあるよ」と、そっとその人の傍らに、かつ継続的に置くことでしかその人を内側から動かすことはできない。
「臓器売買」の売り手は基本的にその臓器の持ち主だが、これもセックスワークと安易に並列することは危険だ。なぜなら臓器売買は卵子や子宮や精子のやりとり・貸し借りも含み、倫理的に賛否両論がある。それは生命にかんする倫理であって、セックスにかんする倫理あるいは道徳とは種類が異なる。セックスは生きている者どうしの関係の問題だからだ。

「人身売買」「臓器売買」対して、セックスワークは労働として「性的な行為またはイメージ」を売るのだと私たちは言ってきた。身体全体あるいはその一部を、その拘束状態等を含めて売るものではない。正確に言えば、セックスワークは労働であるのだから、拘束を含めた身体の売買を含めてはならない、という意志を表明するのが「セックスワーク」という概念だ。

「行為を売る」とはどういうことだろうか。歌うという行為を売る歌手、身体能力の発露を売るプロスポーツ選手、介護することを売る介護士、教師、マッサージ師、医師等々等々。そこにはその市場での「~らしさ」も価値となる。女らしさ、男らしさ、プロらしさ、高級らしさ等々。
そのうち、相手の身体に直接触れる職業は卑しいとされてきた歴史がある。日本でも中世において今日医師が行なう行為の一部は賎業であったと網野善彦の本に書いてあった。

「体を売る」という表現には、ことさら性的なものをロマンや悲劇の題材にしたいという欲望が隠れていると思う。それはまさしく体の売買である人身売買という犯罪の構造の分析を曖昧にもしてしまう。人身売買の大きな目的は労働力であって、性的な価値はその一部である。
私はヒトの性的な価値を低く見積もっているのではない。むしろその逆で、性的なことに人々が余計なロマンをくっつける結果、誰にしわ寄せが行くのかを考えて欲しいと思っているだけだ。

この20年間、HIV/エイズの予防啓発と陽性者のケアや支援の活動に携わる人たちは、上記のような議論とも格闘してきた。この病気が、セックスというよりも性的なことに対する人々の道徳観と関係が深く、そのことで死ななくても良い人たちが沢山死んだという歴史があるからだ。道徳は人を殺しもするのだ。

以下に引用するのは、今年の夏になされた決議である。私は、アムネスティが、世界各地のセックスワーカー自身を含むネットワークに対して詳細なリサーチをした結果、これを採択したのだ思う。私たちが世界各地の国際エイズ会議や女性の権利会議などで直接出会ってきたセックスワーカーたちの意見が反映されていると感じる。

アムネスティがセックスワーカーの人権擁護決議を採択
https://www.amnesty.or.jp/news/2015/0819_5525.html

【Q&A】セックスワーカーの人権擁護を求めるアムネスティの考え
http://www.amnesty.or.jp/news/2015/0819_5526.html

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私は、アムネスティが世界各地のセックスワーカー自身を含むネットワークに対して詳細なリサーチをした結果、これを採択したのだ思います。なぜなら、私たちが世界各地の国際エイズ会議や女性の権利会議などで直接出会ってきたセックスワーカーたちの意見が反映されているからです。

そのネットワークには、微力ながら、しかし確実に日本の(日本人の・日本で働く外国人の)ネットワークも含まれています。しかし日本社会の様々な偏見によってその活動は困難です。

この分野で『も』、日本は驚くほど、その現状の認知と対策が遅れている。そしてその穴埋めを、他のマイノリティの場合と同様に「当事者」たちがボランタリーに行なっている。誰が一体「当事者」なのか?

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青山さん曰く;「日本のセックスワーカーの人権と安全を守るためには、まず「セックスワーカー当事者に自己決定の力、現状を変えていく力があること」を認め、発言の場を保証する社会的な仕組みが必要だと思います。それには性規範の転換も必要でしょうね。」
「性規範の転換」。これはまずはヘテロセクシズム(異性愛絶対主義・男性中心主義)の問題だということを最近ずっと考えています。

「売買春を犯罪とするな」アムネスティの新方針を支持する理由 青山薫教授に聞く
https://www.bengo4.com/c_1009/n_3778/

セックスワークはすべからく女性の尊厳を蹂躙するものなのか?

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今朝、「セックスワークはすべからく女性の尊厳を蹂躙するものだと考えている人が実は多いのではないか?!」ということに突然気付いてびっくりした。
そうだった。そりゃそうだった。そもそもはそういうことから私も始めたのだった。そんなことにびっくりする自分にもびっくりした。私はかなり『特殊』な人間関係の中で人生の大部分(具体的には30歳以降)を過ごしてきたようで、特に「セックスワークはすべからく女性の尊厳を蹂躙するものだ」という考え方がいかに女性自身、ひいては他の属性の人たちの尊厳を蹂躙するものであるかという議論や考察や実践の中に居た。それが実はとても酷い考え方であるということが標準になっていた。正確には、それを標準にすることでサバイブしてきた。

もちろん、セックスワークに携わることで酷い目にあったり、客や客でない人たちから侮辱されたり(※1)、殺されそうになったりすることはある。しかしそれはセックスワークだから、という問題なのか?セックスワーカーではない女性は、女性であるという理由だけで酷い目にあったり、女性として侮辱されたり、殺されたりする危険性がセックスワーカーよりも低いのか?

数という点では確かにセックスワーカーが直面する危険性は高い。沢山の人間と接するからだ。しかし、他の危険性の高い職業はどうだろう?消防士は危険な仕事だけど、それ故に尊敬もされている。危険を最大限回避しつつ人の命を救う専門家だからだ。セックスワーカーは直接の救命はしないが、危険を最大限回避しつつカウンセラーに近い役割を担うこともある。セックスワーカーはその点でなぜ尊敬されないのか。

また、法的な意味で、暴力や犯罪の被害にあっても訴えにくいという面もある。だからセックスワークの非犯罪化ということが課題になる(※2)。
女性という属性の売買が悪いという意見もある。ではなぜ女優やタレントは許されるのか。受付嬢はなぜ笑顔でないといけないのか。昨夜ラジオでAKB的なグループがライブ会場でインタビューされていた。そのうちのひとりは14歳の女子だった。彼女が話すと会場から「うおー!」という、七面鳥の群れのような男性たちの歓声が聞こえた(※3)。たぶん昔からある「子どものエンタテイメント」を、商業的性的なものとして消費することへの敷居が低くなりすぎていないか。それは、エンタテイメントの世界が女性であれ男性であれ性的なイメージもその商品の一部であるということを社会が意識していないからその敷居が消滅してしまうのだと私は思う。

私は「自己決定万能主義者」ではない。リバタなんちゃらという言葉の意味もよくわからない。「AKBみたいになりたい!」という女子は居るだろう。親がそうさせたい場合もある。では彼女等はなぜそれに価値があると感じているのか。この社会で「女性として尊重される」ということのイメージの形成は何か間違っていないか。AKB的なことで儲けているのは誰なのか。劣情につけ込まれてそれを消費しているのは誰なのか。私は前にも書いたように基本的には「その人がその時に得られる情報と知識と価値観で判断したことを最大限に尊重する」という態度のハラを決めるということが大事だと思っている。そうした時に、今は脆弱に見える当事者に説教したり、逆にその無意識につけ込んで商売したりすることではなく、社会の方を変える働きかけをして行かなければならないことに気付くからだ。

(A)セックスワークの現場であろうとなかろうと、この社会はそもそも女性に対する蹂躙で満ちている。

(B)その蹂躙は、特に「異性愛男性中心主義」に従順でない女性に向けられる。そして女性以外でもそれに従順でない者たちにも向けられる。例えばセクシュアルマイノリティに。
(セックスワーカーの日本及び国際的なネットワークが女性だけでなく、ゲイを客とする男性ワーカーやトランスのワーカーと一緒にやってきたことから学んだことは大きい。)

(C)世間で「女性」と言う場合、それはほとんどがヘテロセクシュアル&生まれつきの女性を意味する。これはレズビアンやトランス等の女性の存在を無視した意識である。これも女性に対する社会の蹂躙の一部だ。セックスワーカーの権利運動の中ではそれは無視できない、中心的な課題のひとつである。

(D)セックスワークの現場は、その「女性に対する蹂躙」がそれ以外の現場よりもマシなことがある。そのことにセックスワーカーは仕事を続ける中で気付くことがある。

 例 D-1 夫や恋人から「コンドームを使いたい」という要求が拒否される事態への対処に苦労している女性は多い(データの持ち合わせはないが感覚的に)。セックスワークの現場では、ある行為について「コンドームを使う」ことと「コンドームを使わない」ことは全く別の『商品』である。それは八百屋の店先で「寿司を買いたい」と言うようなものであると私はずっと言ってきた。「うちは八百屋ですから寿司は売りません」「いや、奥の冷蔵庫に入ってるやろ」みたいな。

 例 D-2 婚姻や恋愛関係の中で妻や恋人という立場の女性にとって、その身体、とりわけ生殖器が自分のものであるという認識を持つことが難しいことがある。それは教育の賜物である。女性は、自分のとりわけ外生殖器を自分で観察することが難しい身体構造にある。例えばかゆみなどの異常を感じても、誰かに見てもらわないと、そこがどうなっているかわからない。自分で鏡を使って観察するという行為に抵抗のある人は多い。しかしセックスワーカーは、仕事上の健康管理という必要から見る。定期的に検診にも行く(※4)。そういった経験を通してセックスワーカーは「仕事をする前の自分よりも今の方が自立した」と感じることがある。セックスワークを通して、それ以前の「普通の女性」であった時期に社会から受けた仕打ちの意味を悟ることがある。

セックスワークは、古来様々なロマンのネタになってきた。映画や小説で美化され悲劇として消費されてきた。現代では、それは人々が自らの道徳観を示すためのテコに使用される。セックスワークは、そういった世間の「なし崩しの道徳観」の格好のネタなのだ。セックスワークについて語る人は、そのイメージだけで語らないでほしい。なぜなら、セックスワーカーは日々そういった世間のイメージの結果としての客の態度と向き合って仕事をしているからだ。暴力や侮辱にあいそうな時には、その場その場でそれぞれが小さな選択を繰り返し(いつが「NO」というタイミングなのか、今は笑うべきか無視するべきか怒るべきなのか等々)対処している。その選択は、そのワーカーの生命や経済生活の危機に直結している。もっと言えば、客の性的健康及び「明日の仕事への活力の再生産」や「妻や同僚には言えない話のカウンセリング」にも寄与している。その事だけでも私は率直に尊敬する。

※1 世間的に知的だと言われ、発信力もある職業の人たちからの善意の侮辱はこたえる。それが社会的にも影響力があるからだ。「あー、こういった言説やイメージがまた拡散される」と思って脱力する。
一方、「肉体労働者」と呼ばれる階級のお客たちは、私たちを侮辱することもあるけど正当な尊重をすることもある。「同じ労働者」という意識があるのかもしれない。「おつかれさん」「ありがとう」と素直に言って感謝してくれるのは彼等である。

※2 「アムネスティがセックスワーカーの人権擁護決議を採択」
セックスワークの非犯罪化についての記事。
https://www.amnesty.or.jp/news/2015/0819_5525.html

※3 「七面鳥の群れに声をかけるとノリのいい観客っぽくなる。トリビアの泉」
https://www.youtube.com/watch?v=2hUHbWO19-o

※4 「風俗嬢意識調査―126人の職業意識」単行本 – 2005/4 要友紀子 (著), 水島希 (著) 100頁
http://www.amazon.co.jp/…/4…/ref=cm_sw_r_tw_dp_bq4Ewb0N6Y1ZA

12月25日の怒りの連続ツイート

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(ハスラー・アキラさんが投稿したロサンゼルスの国際売春婦会議について)その国際売春婦会議にはセックスワーカーや研究者が参加してた。ある日雑談しているとひとりの真面目そうな白髪の婦人が「話を聞かせてください」と近づいてきた。職業を聞くと犯罪心理学の専門家だという。私は一般的な男性の犯罪者を無意識にイメージしその専門家だと思った。

しばらく話をして、彼女はなんとなく腑に落ちないという顔をして去っていった。
その後随分たってから私は「あっ。売春婦は犯罪者だから、私にそういう話を聞きたかったのかも!」と気付いた。

私があまりにも明晰にセックスワークについて(犯罪の後ろめたさとか影とか悲劇のロマンとか全く無しに)話したから彼女は失望したのかもしれない。しかしセックスワーカーが被害をこうむる犯罪はある。彼女はそのことには関心は無いみたいだった。何も聞かれなかった。

現役の頃は仕事から帰って来たらハスラーアキラさんとよく長電話した。「今日はこんな素敵な客だった!」とか「今日はこんなヒドいことされた!」とか「へえ!男同士はそうなのか!」とか「女の人の体ってそうなってるのか!」とか。共通する部分と異なる部分にエールを交換した。

それから地元の様々な業種・性別・セクシュアリティ・時にはいろんな国籍のセックスワーカーたちと定期的にミーティングを続けた。SWどうしで話をするのは楽しかった。闘志に満ちていた。疲弊もした。喧嘩もした。そうして、この社会にどうやって異議申立てするのかの作戦を立てた。90年代。

現役で働きながら、ネットワークであるいはひとりで、状況を少しでも良くしようとそれぞれの場所でがんばったり、諦めたり、でもまたがんばったりする人たちが居る。少なくともそういったことの邪魔だけはしないでほしい。根拠のないイメージで語らないでほしい。「地獄」とか言わないでほしい。

所有権がどうとか自己決定がどうとか当事者抜きで議論して『結論』なるものが出たところで、今日も働いているセックスワーカーの状況が少しでもマシになるのか。

たいていのワーカーは昨今の「議論」を見ながら「ふーん…」ってかんじだと思う。「で?」って。私のペラペラしたおしゃべりもすでに古い議論だと思う。どこまでが決定でどこまでが権利だと思うか、目の前の風俗嬢やAV女優やウリ専に直接聞いてみたらいい。「自分を大事にしろ」って言うてみ?

そして幸いにもその風俗嬢やAV女優やウリ専のワーカーがあなたの話に耳を傾け、自分なりの「決定や権利や尊厳」について話したとする。では、それについて今度は彼女ら彼等の客が同意するか、聞いてみ?40分とか70分とかで客を啓蒙や懐柔する技術とその可能性について聞いてみ?

さらにワーカーはそれらの行為が手取り分の料金に見合うかも瞬間瞬間判断するんやで。コンドーム代や化粧品代を差し引いて、客が付かない日も計算し、労災分も年金分も含まれるってとこまで考えて。医療費もストーカー対策費も弁護士相談費も。それがワーカーの日々の決定と権利の内容でしょう。

日銭(ひぜに)っていう感覚が、わからない人にはわからないんやと思う。

ハスラー・アキラの『売男日記』のこと

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「…on Sundays」さん素晴らしい。オンラインで「売男日記」(バイタニッキ)が購入できるようになったそうです。セックスワーク関連基本文献。超おすすめの1冊。1,296円。
http://www.watarium.co.jp/onsundays/html/products/list.php?category_id=4

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ハスラー・アキラさんの本がオンラインで買えるようになってほんとに良かった。「でも同性間の関係はヘテロとは違うし所詮オトコでしょ」などと感じる人にこそ読んでほしい。私は彼と話してきたことで、一体ナニが女性を不自由にしているのかに気付いたりした。

12月29日のツイート

20151229_Twitter

私は自分の元セックスワーカーであったという経験に照らしても「慰安婦」という呼称に反対していて、「戦時性暴力の被害者orサバイバー」という呼称を使っています。英語圏で使われている「性奴隷」は自分がもし当事者だったらその表現を受け入れられるかどうかわからないので使っていません。

しかしながら、軍や国や日本社会が「我々は彼女等を性奴隷扱いしました」と認めることは必須だと考えています。

というか、「奴隷」というのはあくまでもその「労働力」を搾取するために生かしておくものであるとしたら、戦時性暴力の被害者はそれ以下。虐殺されたりもしたんだし。「サバイバー」というのは、自死だけでなくそういうことからも生還した人という意味を含む。

20年前のふたつのインタビュー

20151229_Facebook&Twitter

20年前の「古文書」が発掘されました。古橋悌二さんが亡くなって1ヶ月後ぐらいに、平林享子さんから受けたインタビューです。悌二さんの生前のインタビューをアップされていたので連絡をとったら、その頃の私のインタビューも再録していただくこととなりました。
最後の方に、私がセックスワーカーになった動機のひとつが書かれています。

ブブ・ド・ラ・マドレーヌ インタビュー
「私はいまも悌二との関係をつくるために
自分の何かと格闘しながら生きているような気がする」

http://cloverbooks.hatenablog.com/entry/BuBu

古橋悌二 インタビュー
「新しい人間関係の海へ、勇気をもってダイブする」

http://cloverbooks.hatenablog.com/entry/2015/05/30/190659

私のインタビューのその後。20年間に形成されたセックスワーカーたちのネットワークの活動の一例;
SWASH: http://swashweb.sakura.ne.jp
ガールズ・ヘルス・ラボ: http://www.girls-health.jp

※この文章の無断転載を禁じます。

PDFバージョンは以下
http://swashweb.sakura.ne.jp/file/bubu2015.pdf